質問です。
農家の会話のなかにもっとも頻繁に登場する歴史上の人物は次のうち誰でしょう?
①徳川家康
②二宮金次郎
③ダグラス・マッカーサー
④田中角栄
職業柄、農家と接する機会が多い筆者は自信をもって回答できます。答えは③です。なぜ、教科書のなかの人物が、いまなお話題にのぼるのでしょうか。ここに一筋縄ではいかない農の奥深さがあります。
マッカーサーはおよそ80年前、日本と米国が戦った太平洋戦争で米軍の司令官をつとめた人物です。強いリーダーシップで日本に勝ち、戦後は占領軍のトップとして日本を事実上統治しました。重視したのが「農地改革」です。かれの意気込みを物語ることばが残っています。
「数世紀にわたる封建的圧制の下、日本農民を奴隷化してきた経済的桎梏(しっこく)を打破する」
むずかしい表現ですが、日本の農村社会に批判の眼をむけている様子はなんとなくわかります。マッカーサーがすすめた改革をひとことで表現するならば、「農村社会において、持つ者の力をそぎ、持たざる者に手厚く配分する」というものです。戦前の農村に根づいていた不平等な制度が社会に混乱をもたらし、外にたいして無謀な戦争をしかける遠因になったと考えたからです。
「持つ者、持たざる者」とはなんでしょうか。戦争中に長崎県の農村で生まれた人物の手記から1つのエピソードを紹介します。
「年に一度、その年貢米を地主に納めるのである。父親が大八車を引き、私が後ろから押して地主の家にむかった道をよく覚えている。『おかげさまで今年も米がとれました。ありがとうございます』父親はきまってそういい、地主にひざまずいて年貢米を差し出していた。その光景がいまも目に焼きついている」
マッカーサーはこうした光景を不条理とみたわけですね。かれの改革は、持つ者から持たざる者に対し農地の権利を強制的に移すものでした。農地を手に入れた人々にとっては、まさに”天からの贈り物”。一方、農地をうしなった地主にとっては、”忌まわしきできごと”になったわけです。
「秩序と価値観がガラガラポンになった」。高齢の農家からそんなことばを耳にしたことがあります。マッカーサーの改革は、農村の人間関係、暮らし方、もっといえば農業観におおきな影響をもたらしました。70年がたったいまでも、それを痛感することがあります。
先日、こんなことがありました。新しい農業プロジェクトを立ち上げようと、関東近郊の農家に出向き、「農地を貸してください」と交渉しにいった際のことです。
筆者「農業の活性化につながるプロジェクトです。ぜひ、農地を貸していただければとおもいます」
農家「趣旨はわかったが、口約束ではいかんのか?」
筆者「法律にのっとって役所から許可を得たいのですが・・・」
農家「我が家はマッカーサーに土地をとられて往生したからなあ。できれば波風を立てんよう、そっとしておきたいんだ」
この男性農家は70歳代半ば。農地改革の真っただ中に、地主の家にうまれたひとです。両親から苦労話を聞かされて育ち、いまでも農地を他人に貸し出すことに心理的な抵抗を感じていました。かれにとってマッカーサーという名は、幼いときの苦い記憶をよびさますようです。
農にたいする思いはひとによってさまざまです。強い愛着をみせるひとがいるかとおもえば、むかし別れた恋人をおもいだすように、複雑な感情を示すひともいます。
太宰治という小説家をご存じだとおもいます。青森県・津軽地方の大地主の家に生まれ、自殺未遂と薬物中毒を繰り返しながら、太平洋戦争の前後に「走れメロス」「富嶽百景」「斜陽」「人間失格」といった名作を次々に発表した小説家です。
筆者は太宰の人生に興味をもっています。かれの思考回路や作品には、農村社会で育った人間のリアルな葛藤がみてとれるからです。次回の農ヒストリーでは、太宰の言動を読み解いてみたいとおもいます。
(おわり)
農家の会話のなかにもっとも頻繁に登場する歴史上の人物は次のうち誰でしょう?
①徳川家康
②二宮金次郎
③ダグラス・マッカーサー
④田中角栄
職業柄、農家と接する機会が多い筆者は自信をもって回答できます。答えは③です。なぜ、教科書のなかの人物が、いまなお話題にのぼるのでしょうか。ここに一筋縄ではいかない農の奥深さがあります。
マッカーサーはおよそ80年前、日本と米国が戦った太平洋戦争で米軍の司令官をつとめた人物です。強いリーダーシップで日本に勝ち、戦後は占領軍のトップとして日本を事実上統治しました。重視したのが「農地改革」です。かれの意気込みを物語ることばが残っています。
「数世紀にわたる封建的圧制の下、日本農民を奴隷化してきた経済的桎梏(しっこく)を打破する」
むずかしい表現ですが、日本の農村社会に批判の眼をむけている様子はなんとなくわかります。マッカーサーがすすめた改革をひとことで表現するならば、「農村社会において、持つ者の力をそぎ、持たざる者に手厚く配分する」というものです。戦前の農村に根づいていた不平等な制度が社会に混乱をもたらし、外にたいして無謀な戦争をしかける遠因になったと考えたからです。
「持つ者、持たざる者」とはなんでしょうか。戦争中に長崎県の農村で生まれた人物の手記から1つのエピソードを紹介します。
「年に一度、その年貢米を地主に納めるのである。父親が大八車を引き、私が後ろから押して地主の家にむかった道をよく覚えている。『おかげさまで今年も米がとれました。ありがとうございます』父親はきまってそういい、地主にひざまずいて年貢米を差し出していた。その光景がいまも目に焼きついている」
マッカーサーはこうした光景を不条理とみたわけですね。かれの改革は、持つ者から持たざる者に対し農地の権利を強制的に移すものでした。農地を手に入れた人々にとっては、まさに”天からの贈り物”。一方、農地をうしなった地主にとっては、”忌まわしきできごと”になったわけです。
「秩序と価値観がガラガラポンになった」。高齢の農家からそんなことばを耳にしたことがあります。マッカーサーの改革は、農村の人間関係、暮らし方、もっといえば農業観におおきな影響をもたらしました。70年がたったいまでも、それを痛感することがあります。
先日、こんなことがありました。新しい農業プロジェクトを立ち上げようと、関東近郊の農家に出向き、「農地を貸してください」と交渉しにいった際のことです。
筆者「農業の活性化につながるプロジェクトです。ぜひ、農地を貸していただければとおもいます」
農家「趣旨はわかったが、口約束ではいかんのか?」
筆者「法律にのっとって役所から許可を得たいのですが・・・」
農家「我が家はマッカーサーに土地をとられて往生したからなあ。できれば波風を立てんよう、そっとしておきたいんだ」
この男性農家は70歳代半ば。農地改革の真っただ中に、地主の家にうまれたひとです。両親から苦労話を聞かされて育ち、いまでも農地を他人に貸し出すことに心理的な抵抗を感じていました。かれにとってマッカーサーという名は、幼いときの苦い記憶をよびさますようです。
農にたいする思いはひとによってさまざまです。強い愛着をみせるひとがいるかとおもえば、むかし別れた恋人をおもいだすように、複雑な感情を示すひともいます。
太宰治という小説家をご存じだとおもいます。青森県・津軽地方の大地主の家に生まれ、自殺未遂と薬物中毒を繰り返しながら、太平洋戦争の前後に「走れメロス」「富嶽百景」「斜陽」「人間失格」といった名作を次々に発表した小説家です。
筆者は太宰の人生に興味をもっています。かれの思考回路や作品には、農村社会で育った人間のリアルな葛藤がみてとれるからです。次回の農ヒストリーでは、太宰の言動を読み解いてみたいとおもいます。
(おわり)
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